理想の組織開発・人材育成とは
「人が育たない」は、人事課題ではなく戦略実行リスクである
コンサルタントは、人事部長にとって、救急外来の医師のように見られることがあります。
もちろん、人事の世界で「大変です」「今すぐ助けてください」という状況になるのは、多くの場合、労務問題です。
そのような場合には、弁護士や、その分野の経験を豊富に持つ社労士の先生に相談することが多いでしょう。
一方で、コンサルタントに話が回ってくるのは、もう少し違う場面です。
「少し具合が悪いのですが、一度見てもらえませんか」
このような相談です。
テーマとして多いのは、人事制度、採用、そして人材育成です。
たとえば、次のような相談があります。
「人は何とか採用できています。しかし、うまく育てることができません。育つ前に辞めてしまう人もいます。当社では、社長以下、組織開発や人材育成に全社を挙げて取り組んできました。かなりの時間もかけています。もちろん、それなりの費用もかけています。それでも、あまりうまくいっていないのです」
このような相談を受けたとき、コンサルタントはまず「少し見てみましょう」と言います。
そして、これまでの取り組み、人事制度、研修体系、採用状況、離職率、評価結果、その評価が処遇や配置にどのように反映されているかなどを確認します。
その上で、現在の課題を整理し、改善策を提案します。
これは、決して悪いことではありません。
現在の状況を確認し、課題となる事実を抽出し、解決に向けた筋道を示す。
それは、コンサルタントの基本的な仕事です。
実際、人事制度や採用の領域であれば、コンサルタントが提示する提案に妥当性と納得感があれば、ビジネスとして成立することが多いでしょう。
しかし、人材育成や組織開発については、必ずしもそうではありません。
なぜでしょうか。
経営者や人事責任者が、コンサルタントに「人が育たない」と相談するとき、その会社では、すでに問題がかなり進行していることが多いからです。
ここでいう「手遅れ」とは、何もできないという意味ではありません。
新しい研修プログラムを導入する。
人事制度を改定する。
タレントレビューを実施する。
HRBPの役割を見直す。
こうした人事施策だけでは、すでに十分な効果を期待しにくい段階に入っている、という意味です。
人材育成の実行は、人事部門だけではできない
人事部門は、研修体系を作ることができます。
教育プログラムを設計することもできます。
タレントレビューを実施することもできます。
サクセッションプランを整備することもできます。
HRBPを配置することもできます。
しかし、実際に人が育つのは、人事部門の中ではありません。
人は、仕事の中で育ちます。
現場で育ちます。
上司から仕事を任され、フィードバックを受け、失敗し、修正し、次の役割を引き受ける中で育ちます。
誰に難しい仕事を任せるのか。
誰に次の会議へ参加させるのか。
誰に顧客対応を任せるのか。
誰に部下を持たせるのか。
誰に失敗してもよい機会を与えるのか。
これらは、人事部門ではなく、ラインマネジメントの中で決まります。
つまり、人材育成の方針は人事部門が描けます。
しかし、人材育成の実行は現場でしか起きません。
ここに、人材育成の難しさがあります。
教育研修であれば、人事部門が主導できます。
対象者を決め、日程を決め、講師を選び、受講者を集めることができます。
同じ階層に対して、同じ内容を、同じタイミングで提供することもできます。
この意味で、教育研修は学校教育に近いものです。
対象者に対して、公平で平等な機会を提供する。
受講機会は均等であり、受講内容は標準化されている。
選抜型の研修であっても、その基準は開かれていなければならない。
しかし、人材育成や組織開発は、教育研修と同じ原理では動きません。
人は、同じ研修を受ければ同じように育つわけではありません。
同じ経験を与えれば、同じ能力が身につくわけでもありません。
本人の現在の役割、過去の経験、上司の関与、組織の状態、次に期待される役割によって、育成の進み方は大きく異なります。
したがって、人材育成において人事部門が担うべき役割は、単に研修を提供することではありません。
人が育つ構造を、会社の中で成立させることです。
「人が育たない」は遅れて表面化する
多くの企業では、製品や技術についてはかなり入念に計画を立てます。
商品ライン。
技術ロードマップ。
設備投資計画。
品質保証体制。
投資回収計画。
これらは経営会議で繰り返し確認されます。
しかし、人に関しては、同じ精度で管理されているとは限りません。
もちろん、頭数は管理されます。
人件費も管理されます。
採用計画も作られます。
しかし、どの人がどの経験を積み、どのポジションに備え、どの組織能力を支え、どのタイミングで次の役割に進むのかまで、製品ロードマップや設備投資計画と同じ精度で管理されることは多くありません。
その背景には、人はある程度代替可能であるという考え方があります。
特定の人がいなくても、組織の中で補い合えば仕事は回る。
個人よりも、部門やチームとして成果を出す。
この考え方は、日本企業の強みでもありました。
もう一つは、価値を生む主体は個人ではなく組織である、という考え方です。
人は組織の中で育ち、組織の中で役割を担い、組織として成果を出す。
だから、人材育成も個人単位で厳密に管理するより、現場の中で自然に行われるものとして扱われてきました。
しかし、この前提が弱くなると、問題は一気に表面化します。
ベテランが穴を埋める。
管理職がプレイヤー化する。
エース人材が複数の役割を抱える。
現場が暗黙知と無理で何とか処理する。
その間、会社は大きな問題として認識しません。
しかし、その状態が長く続くと、人が育つ土壌は少しずつ失われます。
若手に挑戦機会が与えられない。
中堅が次の役割に進めない。
管理職が部下を育てる余力を失う。
熟練者の経験が継承されない。
組織能力が特定の個人に依存する。
そして、ある時点で「人が育たない」という声が大きくなります。
そのとき、問題はすでに教育研修の範囲を超えています。
それは、人材育成の問題であり、組織開発の問題であり、さらに言えば、企業戦略の実行リスクです。
戦略は、常に実行を必要とします。
しかし、その実行を担う人と組織が育っていなければ、どれほど優れた戦略を描いても実行されません。
人材育成と組織開発には、平時の点検が必要である
人材育成や組織開発は、問題が顕在化してから着手するものではありません。
本来は、平時に行うべき、戦略実行能力の維持管理です。
車にたとえるなら、車検のようなものです。
車は、壊れてから点検するのでは遅い。
ブレーキが効かなくなってから整備するのでは、事故が起きます。
タイヤがすり減り、エンジンに負荷がかかり、オイルが劣化していても、普段は走れてしまう。
しかし、その状態を放置すれば、ある日突然、重大な故障につながります。
組織も同じです。
現場は、しばらくの間は無理で回ります。
しかし、その無理を放置すれば、ある日突然、戦略を実行できない組織になってしまいます。
だからこそ、人事部門は平時に組織の状態を点検する必要があります。
どの組織で業務負荷が高まりすぎているのか。
どのポジションで後継者が育っていないのか。
どの管理職が育成の役割を果たせていないのか。
どの人材に過度な依存が生じているのか。
どの組織で経験機会が不足しているのか。
どの能力が、将来の戦略実行に対して不足し始めているのか。
これらを定期的に点検し、経営と現場に示すことが、人事部門の重要なアカウンタビリティです。
ただし、人事部門がすべてを修理するわけではありません。
組織を変えるのは経営です。
業務負荷を減らすのは事業責任者です。
人に経験を与えるのはラインマネジメントです。
専門的な育成プログラムを設計するのはCOEです。
人事部門は、その状態を点検し、リスクを見える化し、必要な整備を促す役割を担います。
HRBPは、組織の点検者であり接続者になりうる
ここで、HRBPという役割について触れておきたいと思います。
日本企業でも、最近ではHRBPを配置する企業が増えてきました。
しかし、その役割は企業によって大きく異なります。
また、HRBPという概念そのものが、まだ十分に定着しているとは言えません。
ここで確認しておかなければならないのは、HRBPを配置すれば、組織開発や人材育成が自動的に進むわけではない、ということです。
HRBPは、組織開発をすべて自分で実行する役割ではありません。
エース人材を直接育てる役割でもありません。
現場の要望を聞いて、本社人事やCOEに伝えるだけの役割でもありません。
そもそも、HRBPがキーポジションであるとしても、その役割を使いこなし、統率できるリーダーがいなければ、HRBPは十分に機能しません。
HRBPに何を見させるのか。
どの範囲まで判断させるのか。
どの課題をCOEにつなぐのか。
どの課題をラインに戻すのか。
どの課題を経営や経営企画に上げるのか。
これらが整理されていなければ、HRBPは現場に近い人事担当者にとどまります。
したがって、重要なのは、HRBPという肩書きそのものではありません。
重要なのは、現場で起きている人と組織の問題を、戦略実行上のリスクとして言語化する機能です。
そして、その課題を、ライン、COE、人事部門、経営企画、経営につなぐ機能です。
平時から組織の状態を点検し、問題が大きくなる前に関係者をつなぐ。
この機能があって初めて、人材育成や組織開発は危機対応ではなく、経営管理として機能します。
HRBPは、その機能を担う有力な候補です。
しかし、HRBPという役割を置くだけでは不十分です。
必要なのは、HRBPを配置することではなく、現場の人と組織の状態を点検し、必要な相手につなぎ、対応を前に進める仕組みを作ることです。
この意味で、HRBPは目的ではありません。
HRBPは、組織開発と人材育成における点検機能と接続機能を担うための、一つの実装方法なのです。
必要なのは、全社一律の管理ではない
組織開発や人材育成の点検を強化すれば、組織の維持管理コストは上がります。
これは経営にとって一つのジレンマです。
全組織、全ポジション、全社員を同じ精度で管理しようとすれば、人事部門にも現場にも膨大な負荷がかかります。
本来は戦略実行力を守るための仕組みが、逆に現場の負荷になってしまうこともあります。
したがって、必要なのは全社一律の管理ではありません。
すべての組織を同じ深さで見る必要はありません。
すべてのポジションを同じ重要度で管理する必要もありません。
すべての社員に同じ育成投資を行う必要もありません。
重点的に見るべきなのは、戦略上重要な組織です。
成長事業を担う部門です。
技術や技能の継承が必要な領域です。
特定の個人に依存しているポジションです。
後継者が不在の管理職ポジションです。
業務負荷が高まり、人が育つ余力を失っている現場です。
必要なのは、戦略実行リスクに基づく集中と選択です。
これは、人事部門だけで扱うテーマではありません。
人材育成や組織開発という名前はついていても、その実態は、組織が戦略を実行できる状態にあるかを確認する経営管理の一部です。
したがって、人事部門だけで完結させることはできません。
事業企画、経営企画、ラインマネジメント、COE、そして経営と接続して扱う必要があります。
ここまで来ると、冒頭で「手遅れ」と申し上げた意味も見えてくると思います。
「人が育たない」という問題が表面化したとき、その背景には、すでに人事施策だけでは対応しきれない組織上の問題が進行していることが多いのです。
「人が育たない」と言われてからでは遅い
「人が育たない」という声が大きくなってからでは、対応は難しくなります。
その段階で必要になるのは、人事部門が提供する研修だけではありません。
組織の変更。
業務負荷の軽減。
役割の集中と選択。
即戦力人材の採用。
エンゲージメントの維持。
リーダーへの個別支援。
これらが必要になります。
それは、もはや人事部門だけの仕事ではありません。
全社改革です。
だからこそ、人材育成や組織開発は、平時に点検し、維持しなければなりません。
人材育成は、人事部門だけの仕事ではありません。
しかし、人が育つ構造が会社の中で成立しているかを点検し、必要な課題を可視化し、経営と現場に接続することは、人事部門の重要なアカウンタビリティです。
理想の組織開発・人材育成とは、問題が起きてから大きな施策を打つことではありません。
平時から、組織が戦略を実行できる状態にあるかを点検すること。
人が育つ余力が現場に残っているかを確認すること。
必要なときに、現場、人事、COE、経営企画、経営をつなぐこと。
それが、人材育成と組織開発を危機対応ではなく、経営管理として機能させるための出発点です。
「人が育たない」は、単なる人事課題ではありません。
それは、組織が戦略を実行する力を再生産できているかを問う、経営上の重要なサインなのです。


