評価制度とは
評価制度という名の「ババ抜き」——そして、その先へ
人事制度を新たに策定する際、最も大きな関心を集めるのは、何と言っても評価制度である。
なぜなら、人事制度という新しい社内ルールの中で、すべての従業員に直接開示され、日々の働き方に影響を与える制度は、実質的には評価制度だからである。
社員にとって、評価は処遇に直結する。良い評価を得ることは、昇給、賞与、昇格につながる。したがって、社員は評価制度を単なる人事上の手続きとしてではなく、自分の処遇とキャリアに直接関わる仕組みとして受け止める。
一方、会社側、特に人事にとって評価制度を定めることには、別の意味がある。
評価制度は、組織の方向性や目標を社員全員に理解・共有してもらうための仕組みである。同時に、その方向性に基づいて、各社員が日々何に取り組むべきか、どのような成果を目指すべきかを明文化する仕組みでもある。
財務上の目標は、経営管理によって月次でトラックされる。しかし、その財務目標を実現するために、誰が、どの役割で、何に取り組むのかを全員に設定させる仕組みは、評価制度の中に置かれることが多い。
その意味で、評価制度の一義的な意義は、個人を点数化することではない。むしろ、組織目標を個人の役割と行動に落とし込み、組織行動を管理可能な形にすることにある。
ただし、ここで重要な問題が生じる。
組織行動を管理する主体は、本来どの部門なのか。経営なのか。事業部門なのか。ラインマネージャーなのか。人事なのか。
この責任の置き方によって、評価制度の設計は大きく変わる。
評価制度は、人事が運用する制度である。しかし、その中に書き込まれる目標、役割、行動期待、成果責任は、人事だけで決められるものではない。そこには、経営目標、事業戦略、部門方針、ラインマネジメントの責任が複合的に入り込む。
言い換えれば、現代の評価制度とは、単なる人事制度ではない。それは、経営、事業、ライン、人事にまたがるマネジメント・アカウンタビリティを文書化する仕組みである。
ところが、その運用責任は多くの場合、人事部が担っている。
ここに、現代の評価制度の難しさがある。
評価制度は、人事制度として設計される。しかし実際には、組織の目標設定、役割定義、行動管理、成果責任、処遇判断を一つの仕組みの中で扱うことになる。
だからこそ、評価制度は常に問題にされる。それは評価制度そのものが悪いからではない。評価制度が、組織マネジメントの複数の責任を引き受ける場所になっているからである。
そして、より本質的な問題がある。評価制度は、組織マネジメントの結果責任を、最終的に個人に引き受けさせる場所になりやすいのだ。
例えば、ある自動車メーカーが事業計画に基づき、5つの新車を発売したとする。しかし、その売れ行きが計画を大きく下回った。
このとき、その責任はどこに向かうだろうか。
多くの場合、まず責任を問われるのは営業である。販売計画を達成できなかった。市場への浸透が不十分だった。販売現場の実行力が足りなかった。このような言葉で、未達の責任は営業組織の評価に反映されやすい。
しかし、本当にそれだけで説明できるだろうか。
商品の企画は適切だったのか。開発段階で顧客ニーズを正しく捉えていたのか。価格設定は妥当だったのか。マーケティングは市場に正しいメッセージを届けられていたのか。生産計画や供給体制に問題はなかったのか。競合他社が予想を超える新製品を投入した影響はなかったのか。
これらは、販売不振の重要な要因になり得る。しかし通常の評価制度では、その要因を十分に拾い切ることは難しい。
もちろん、トップラインの未達は賞与原資全体に影響する。しかし、個人評価や部門評価の場面では、販売計画を直接背負っている部門に、より明確な責任が現れやすい。全社に大きな影響を与える失敗であれば、株主への説明や経営上の必要性から、詳細な原因究明が行われるかもしれない。しかし、そこまで大きな経営アジェンダにならない場合、多くの組織課題は個人や特定部門の評価の中に吸収されていく。
つまり、本来は組織全体で引き受けるべき問題が、評価制度の中で、誰かの成果不足、誰かのリーダーシップ不足、誰かの実行力不足として処理されてしまう。
評価制度は、個人の貢献を明らかにするための仕組みである。しかし同時に、組織マネジメントの歪みや、部門間の責任の曖昧さを、個人評価に変換してしまう仕組みにもなり得る。
やや強い言い方をすれば、評価制度は、組織全体を巻き込んだ「ババ抜き」のように機能することがある。本来は全員で原因を見極めるべきカードが、最後には誰かの手元に残る。そして、そのカードを持った人や部門が、評価という形で責任を引き受けることになる。
では、この「ババ抜き」を、日本企業はどのように処理してきたのだろうか。
一つの答えは、定期異動である。
日本企業において、人事部が最も価値を出してきたのは、評価制度を緻密に設計することだけではなかった。また、組織マネジメントの不備を個人に押し付けることを、評価制度によって正当化することでもなかった。
むしろ、人事異動を通じて、そのような責任の痕跡を消してしまうことにあったのかもしれない。
ある事業や部門で成果が出なかった。その原因は、商品企画かもしれない。営業力かもしれない。市場環境かもしれない。上位方針の曖昧さかもしれない。部門間連携の不足かもしれない。しかし、それをすべて評価制度の中で明確に裁くことは難しい。
そこで日本企業は、人を動かしてきた。
担当者を替える。部長を替える。部門をまたいで人を異動させる。一度、責任の所在を固定化せずに、組織の中で再配置する。
これにより、失敗の痕跡は個人の評価に深く刻み込まれる前に、組織の中に吸収されていく。これこそ人事部門が評価制度を通じて情報を収集し、人に関するデータベースをアップデートしてきた理由である。統一的なフレームワークで情報を収集・整理することで、異動の根拠としての公平性を担保してきた。
もちろん、これは必ずしも透明な方法ではない。事実、人事異動は密室で協議され、個別に通知されてきた。しかし、組織全体としては、個人を過度に傷つけず、責任を一か所に固定せず、次の機会を与える仕組みとして機能してきた。
この意味で、日本企業の定期異動は、単なる人材育成やゼネラリスト育成の仕組みではなかった。それは、評価制度では処理しきれない組織マネジメント上の歪みを、配置によって吸収する仕組みでもあった。
日本企業の人事部の本当の機能は、評価することではなく、配置によって組織の矛盾を処理することにあった。人事部は、評価制度によって責任を確定するよりも、人事異動によって責任を固定化しないことに価値を発揮してきたといえる。
しかし、Job Grade制度や職務型人事制度を導入すると、この従来の吸収装置は弱くなる。
職務が明確になる。役割が明確になる。KPIが明確になる。評価結果が処遇に直結する。配置転換も、本人の職務やキャリアとの整合性が問われる。
すると、かつてのように人事異動で曖昧に吸収していた組織マネジメントの歪みが、評価制度の中にそのまま残りやすくなる。
つまり、日本企業が職務型やJob Grade制度を導入する際に本当に問われるのは、等級制度や評価シートの設計だけではない。これまで定期異動によって吸収してきた組織の矛盾を、これからはどこで処理するのか、という問題である。
大企業であれば、これまである程度は定期異動、配置転換、部門間ローテーション、一時的な役割変更、ポストの再設計によって、評価制度の中に流れ込んだ組織マネジメント上の歪みを吸収してきた。
しかし中小企業では、そもそも異動先が少ない。代替ポストが少ない。管理職ポストの数が限られている。部門構成が単純で再配置の余地が小さい。一人が複数機能を兼務している。そういった現実がある。
そのため、一度「この人の評価が低い」「この職務で成果が出ていない」と整理されると、それを吸収する逃げ場がないのだ。大企業では人事異動によって曖昧に処理されていたものが、中小企業ではそのまま個人の責任として固定化されやすい。
Job型制度が悪いのではない。受け皿がないことが問題なのだ。
昨今、中小企業でもJob型制度を導入する動きが増えている。しかし、異動や再配置の余地が限られる組織規模の企業においては、Job型制度の導入はより慎重であるべきである。
なぜなら、そのような企業では、組織マネジメント上の歪みを人事異動によって吸収する余地が小さいからである。その結果、本来は組織全体で引き受けるべき問題が、評価制度を通じて個人責任として固定化されやすい。
Job型制度の問題は、役割を明確にすることではない。問題は、役割を明確にした結果、組織の問題まで個人の職務責任に回収してしまうことである。
特に中小企業では、評価制度が「改善のための対話」ではなく、「責任の固定化」や「格付け」の仕組みになった瞬間に、人材の活力を失わせる危険がある。
私が中堅中小企業に評価制度をコンサルする際、いつも心がけていることがある。それは、評価制度が担うべき範囲は、むしろ限定した方がよい、ということだ。
人事部が管轄すべき評価制度の主な機能は三つである。第一に、業績評価を通じて賞与に反映すること。第二に、等級改定や給与レンジに基づき、昇給を決定すること。第三に、個人の成長機会を確認し、来期に向けたフィードバックを行うこと。
一方で、昇格を含む異動や配置換えは、評価制度の中に直接組み込むべきではない。なぜなら、昇格や配置は、個人の評価結果だけで決めるものではなく、事業戦略、組織設計、後継者計画、人材ポートフォリオと密接に結びついているからである。
特に、異動や配置換えは、中期経営計画の中であらかじめ方向づけておくべきである。どの事業を伸ばすのか。どの機能を強化するのか。どのポジションが将来のボトルネックになるのか。どの人材にどの経験を積ませるのか。これらを評価制度の期末運用の中で初めて議論するのでは遅い。
年次評価は、昇格や異動を決める場というより、すでに中期的に想定されている配置判断について、実行のタイミングや本人の準備状況を確認する場と位置づけた方がよい。
最近はHRISの導入も進み、さまざまな評価ツールを非常に簡単に導入することができる。しかし例えば、コンピテンシー評価や360度評価は、個人の処遇を直接決める評価として使うよりも、人材と組織の状態を可視化するマップとして使う方が適している。
それらは、一定の客観性をもって全社員を横並びで見ることを可能にする。しかし、そこで見えているものは、個人の絶対的な価値ではない。見えているのは、組織の中でどのような行動が発揮され、どのようなリーダーシップが周囲にどう受け止められているかという分布である。
よくあるのは、「総合評価制度」という名目のもとに、360度評価やコンピテンシーの評価結果も点数化して合計点数を算出し、最終的な評価結果とするパターンだ。しかし私はこのアプローチに懐疑的である。精緻化の方向に労力を使うのではなく、より重要なのは、評価・マップ・配置判断を明確に分けることだと考えている。
KPI評価は処遇に使う。コンピテンシーや360度はマップとして使う。配置や昇格は中期経営計画に基づく別の判断として行う。
この切り分けができれば、評価制度はもはや「ババ抜き」の場ではなくなる。
組織業績への貢献を確認し、次の成長機会につなげる——評価制度が本来担うべき機能は、実はそれだけで十分なのかもしれない。制度を精緻にすることよりも、制度の役割を絞り込むことの方が、組織にとっても個人にとっても、はるかに誠実な設計なのだと、私はクライアントと向き合うたびに確信を深めている。


