人事システムはどう選ぶのか
――人事・IT・経営で異なる「良いシステム」の条件
「人事システムは、どのように選べばよいですか」
これは、コンサルタントとしてよく聞かれる質問です。
しかし、この問いは、発言者が誰かによって、期待されている答えが大きく変わります。
人事部門が聞いているのか。
IT部門が聞いているのか。
経営者が聞いているのか。
同じ「人事システム」という言葉を使っていても、それぞれが見ているものは必ずしも同じではありません。
人事部門が求めるもの
まず、人事部門にとっての関心は、多くの場合、機能性です。
やりたいことができるか。
日々のオペレーションが楽になるか。
紙、Excel、メール、手作業をどこまで減らせるか。
最近のSaaS型人事システムは、まさにこの部分を強みとして打ち出しています。
評価管理、勤怠管理、採用管理、タレントマネジメント、サーベイ、教育管理など、領域ごとに多くの選択肢があります。SaaSアプリケーションを選ぶ場合、人事部門は機能とコスト、導入までの負荷、ランニングコストを比較し、自部門のニーズに最も合うものを選ぶことが多いでしょう。
要するに、費用対効果の高いものを選ぶということです。
この考え方自体は、決して間違っていません。
しかし、ここには落とし穴があります。
SaaS型人事システムの落とし穴
SaaS型システムは、導入後に大きく手を入れることが難しい場合があります。
特に、画面設計、ワークフロー、データベース構造の部分は、ユーザー側で自由に変えられないことが少なくありません。
そのため、導入後に「こういう使い方を想定していたのに、実際にはできない」という小さな不具合がいくつも出てくることがあります。
特に問題になりやすいのは、ワークフローです。
人事業務は、経理業務と違い、会社ごとに入力項目、承認ルート、例外処理、判断基準が大きく異なります。評価、異動、昇格、休職、復職、報酬改定などは、制度そのものと業務プロセスが深く結びついています。
したがって、導入前に自社の制度や業務フローとシステムの仕様を綿密に照合しなければ、せっかくシステムを入れても、一部の面倒な手作業が残ることになります。
これは、よく見られる現象です。
データベースとして使えるか
次に問題になるのは、データベースとしての機能です。
必要なデータを保持できるか。
後から項目を追加できるか。
履歴を残せるか。
定型レポート以外の出力ができるか。
他のシステムと連携できるか。
SaaS型システムでは、あらかじめ用意された画面やレポートは使いやすくても、独自の分析やレポーティングには制約があることがあります。カスタマイズを求めると、想定以上のコストがかかる場合もあります。
また、SaaS型システムは、ユーザーが自由にSQLでデータベースへアクセスし、必要なデータを抽出するような使い方には必ずしも向いていません。この点では、ERPや自社で作り込んだシステムに比べて、データ活用面で制約が出ることがあります。
人的資本経営という言葉が経営陣からも聞かれるようになった現在、人事データのレポーティングに時間がかかるようでは、オペレーションで削減した工数が、結局データ作成で戻ってきてしまいます。
これも、よくある話です。
データの所有権と履歴管理
さらに重要なのが、データの所有権と履歴管理です。
人事データは、社員の入社から退社までの履歴を長期にわたって保持する必要があります。所属、役職、等級、評価、報酬、休職、復職、異動、表彰、懲戒、教育履歴など、後から必要になる情報は少なくありません。
システム変更時によく起こるトラブルの一つに、過去データがうまく引き継がれないという問題があります。
たとえば、永年勤続表彰の対象者が分からなくなる。
過去の評価履歴が参照できなくなる。
以前の等級や所属履歴が確認できなくなる。
退職者データの保管場所が曖昧になる。
SaaS型システムでは、契約が終了するとシステム内のデータにアクセスできなくなる場合があります。もちろん、適切にエクスポートやアーカイブを行えばよいのですが、人事データをどの形式で、どの粒度で、どの期間保管するかについて、十分に設計されていないケースもあります。
また、SaaS型システムは、一つの大きなシステムを複数のユーザー企業が共同で利用する構造です。そのため、保持できるデータ容量、レスポンス、データ出力、履歴管理には一定の制約があります。
このあたりは、導入して初めて分かることも少なくありません。
SaaSを選ぶなら、業務を合わせる覚悟がいる
では、どうすればよいのでしょうか。
まず理解すべきことは、SaaS型システムを選ぶ場合、一定程度はシステムに業務を合わせる必要があるということです。
人事部門の工数削減が目的であれば、その元になっている制度や業務プロセスにも手を付ける必要があります。制度や運用が複雑なまま、それをそのままシステム化しようとすると、結局システムの外に手作業が残ります。
業務を単純化してからシステム化する。
これができる場合、SaaS型システムは非常に有効です。
一方で、制度や業務を大きく変えられない場合は、導入決定時点で、何がシステム化でき、何ができないのかをできるだけ明らかにしておく必要があります。そして、システムで対応できない業務については、個別にどのように処理するかを設計しておく必要があります。
ここが、作り込みが可能なオンプレミス型やPaaS型のシステムと、SaaS型システムとの大きな違いです。
IT部門が見る人事システム
次に、質問者がIT部門の場合はどうでしょうか。
IT部門にとって重要なのは、システムとして安定しているか、他社で実績があるか、社員アクセスやメンテナンスが容易か、データ連携のインターフェースが使いやすいか、といった点です。
IT部門が人事システムを見るとき、特に重視するのは大きく二つです。
一つは、経理を含む会社の主要システムとのデータ連携です。
もう一つは、社員マスタとしてID管理に利用できるかどうかです。
この二つは、社内全体のIT統制を考えるうえで非常に重要です。
人事データは、社員番号、所属、役職、雇用区分、在籍状況、メールアドレス、システム権限など、多くの社内システムの起点になります。そのため、IT部門にとって人事システムは、単なる人事部門の業務ツールではありません。
会社全体のID管理、権限管理、システム連携の基盤でもあります。
この観点から見ると、部門最適型のSaaSアプリケーションは、必ずしも第一候補にはなりません。導入は簡単でも、全社システムとの連携、ID管理、データ統制、セキュリティ、監査対応の面で制約が出る場合があるからです。
そのため、SaaS型人事システムを導入する場合には、「部門利用の範囲でお願いします」という整理になることもあります。
経営者が求めるもの
最後に、経営者からの問いです。
経営者は、人事部門の業務効率やIT部門のメンテナンス性そのものには、必ずしも強い関心を持っていません。
経営者にとって重要なのは、必要な情報がすぐに見えるかどうかです。
人員数。
人件費。
採用状況。
離職率。
後継者候補。
重要ポジションの空席状況。
エンゲージメント。
人的資本開示に必要な指標。
コンプライアンス上のリスク。
経営者が期待しているのは、必要な情報がダッシュボードで可視化され、意思決定に使える状態になっていることです。
しかし、ここで注意が必要です。
経営ダッシュボードは、画面を作れば完成するものではありません。
その前提として、正しいデータが、正しいワークフローを通じて、正しいタイミングで蓄積されている必要があります。
人事部門の工数削減だけを目的にシステムを選ぶと、経営が必要とするデータが取れないことがあります。
IT統制だけを優先すると、現場が使いにくいシステムになることがあります。
経営ダッシュボードだけを求めると、現場の入力負荷やデータ品質の問題が置き去りになることがあります。
だからこそ、人事システム選定では、人事、IT、経営の三つの視点を同時に整理する必要があります。
コンサルタントが行うべきこと
実際にコンサルタントとして人事システム選定に参画する場合には、この三つの視点を含めてチェックリストを作成し、優先順位を付けて評価していくことになります。
人事部門にとって必要な機能。
IT部門にとって必要な連携・統制・保守性。
経営者にとって必要なデータとレポーティング。
制度変更に対応できる柔軟性。
ワークフローの再現性。
データの保持、移行、アーカイブ。
導入コストとランニングコスト。
将来の拡張性。
こうした項目を整理したうえで選んだシステムは、最初から「何のために、どの範囲で、どのように使うのか」が明確です。
そのため、導入後に想定外の混乱が起きにくくなります。
また、導入途中でプロジェクトが止まるリスクも下がります。
「おすすめのシステム」を聞く前に考えるべきこと
「どの人事システムがおすすめですか」とコンサルタントに聞くこと自体は、間違いではありません。
しかし、その質問をする前に、自社が何を求めているのかを理解しておく必要があります。
人事部門の工数を減らしたいのか。
制度運用を安定させたいのか。
社員マスタを整備したいのか。
IT統制を強化したいのか。
経営ダッシュボードを作りたいのか。
人的資本経営に必要なデータを整えたいのか。
求めるものが違えば、選ぶべきシステムも変わります。
人事システムは、単なる便利ツールではありません。
人事業務をどう動かし、社員データをどう蓄積し、経営にどうつなげるかを決める基盤です。
だからこそ、人事システム選定で最初に問うべきことは、
「どのシステムがよいか」ではありません。
自社は、人事システムに何をさせたいのか。
そして、その問いを誰の立場から見ているのか。
そこを明らかにすることが、人事システム選定の出発点になります。

